野口 卓司の軌跡
Takuji Noguchi's trail
院長のご紹介
地域の皆様の歯の健康を守るため、虫歯の治療はもちろん、歯に関するいろいろな悩みに耳を傾け、お口の中全体をトータルにケアする診療を心がけ、患者様が喜んで、楽しく、行きたくなるような医院づくりを目指し、スタッフ一同誠心誠意励んで参りますので宜しくお願い申し上げます。
- 趣味
- 映画観賞・スポーツ観戦
- 略歴
- 高松市立川添小学校 卒業
- 香川県大手前高松中学校 卒業
- 香川県大手前高松高等学校 卒業
- 神奈川歯科大学 卒業
- 広島大学歯学部 歯周病態学講座大学院博士過程 卒業
- 医療法人修医会 光ヶ丘歯科医院(広島) 勤務
- はる歯科診療室 開院 現在に至る
- 所属学会
- 日本歯周病学会 会員
- 日本歯科保存学会 会員
- The International Team for Implantology 会員
- 日本アンチエイジング歯科学会 会員
- 日本抗加齢医学会 会員
- 所属
- 日本歯科医師会 会員
- 香川県歯科医師会 会員
- 高松市歯科医師会 会員
- 日本学校歯科医会 会員
- 香川県歯科医療専門学校
- 歯科医師臨床研修指導医
はる歯科診療室 幼少期から開院に至るまで
安部 貴士
株式会社火燵で代表取締役を勤めております、安部 貴士でございます。
今回は、香川県高松市内にて地域密着の診療をしている、はる歯科診療室 院長の野口先生に幼少期から開院までの道のり、そして明かされる衝撃的な事実の数々をインタビュー形式で語っていただきました。
幼少期から開院に至るまで、そしてどうして歯医者を志すようになったかを生い立ちから見ていきたいと思います。
1日目
- 安部 貴士
- 幼少期はどんな子供でしたか?
- 野口 卓司
- 出生時の体重は3,150gの赤ちゃんで、午前6時20分に産まれたと聞いています。
産まれた時には、頭がキュウリのように細かったので母がひどく動揺したそうでした。今は普通よりむしろ丸いくらいですかね (笑)。
- 野口 卓司
- 野口 卓司
- 保育所の時は、泣き虫で内気な子供だったと思います。
- 野口 卓司
- 安部 貴士
- 今はそのような面影はありませんね (笑)。
- 野口 卓司
- (笑)
- 安部 貴士
- これらの絵や手紙は、その当時の絵でしょうか?
- 安部 貴士
- 野口 卓司
- そうですねー、母がよく残してくれていました。感謝です。
よく新聞の折込みチラシの裏に絵を書いたり、手紙を書いたりしていました。
折込みチラシは、たまに私の紙飛行機になったりして、よく利用して遊びましたよ~。
- 野口 卓司
- 野口 卓司
- 今見たら、こんなこと書いてたんですね~。
- 安部 貴士
- この当時から絵を書くことが好きだったんですか?
- 野口 卓司
- 大好きでしたね~、実は安部さん!小学校5年生の屋島であった写生大会に父親と出たことがあるんですよー。そこで、親子同時の佳作に入賞して、四国新聞に名前が掲載されたこともあるんです!
父も絵描きの仕事をしたかったと私に言ってました。
- 安部 貴士
- 小学校の頃を教えてください。
- 野口 卓司
- 小学校の時の一番の思い出といえば、やはり思い出すのは夏休みでしたね~。
海に山に出かけ、東京の親戚の家に遊びに行き、毎日プールや友達と1日中遊んでいました。
あの当時の1日はとても長く感じたのを覚えています。
遊びすぎて、宿題とかもいつもぎりぎりに終わらせていました (;^ω^)
- 野口 卓司
- 野口 卓司
- この絵は、小学校1年生の時に書いた絵ですね (笑)
- 野口 卓司
- 野口 卓司
- 小学4年生からは、スポーツ少年団で柔道を習っていたため腕っ節が強く、友達と一緒になってよく先生に叱られ泣いていました。
- 安部 貴士
- 小学生から体格がよかったんですか?
- 野口 卓司
- そうですねー、背は高いほうでしたし、給食を残したことはなかったように覚えています。
それと、とにかく学校大好き大好き小学生で、ただただ、遊びに行っているだけの毎日でした。そんな楽しい学校生活が、毎日終わって、家に帰っても、実は、家には、誰もいません。
そう、世の中で言う、「カギっ子」。
小学校1年生の時から、家で、一人で、親の帰りを待つ、「カギっ子」でした。
両親が共働きでカギっ子だったのと、また私自身が一人っ子だったので家に帰っても楽しくなかったので、とにかく学校好きでした。そのかいあって、気が付いたら小学校6年間、無遅無欠席の皆勤賞(笑)。
唯一のとりえが、学校大好きっていう子供でした。
- 安部 貴士
- 6年間、無遅無欠席の皆勤賞はすごいですね(笑)。
まさか、中学・高校は皆勤賞ではないですよね~~?
- 野口 卓司
- 安部さん、そのまさかです。中学・高校も皆勤賞で卒業式の時に置時計を頂きました。どんだけ学校好きなんって普通に思いますよね~。
- 安部 貴士
- 中学時代はどうでしたか?
- 野口 卓司
- 中学1年生からびっしり7時間授業でした。本気で辛かったです。
そんな、勉強できるのが当たり前な環境の中だったので、頭のいい、友達ばかりでプレッシャーでした。
- 安部 貴士
- 経歴をみると、地元の中学校ではなかったのはどうしてですか?
- 野口 卓司
- よくぞ聞いてくれました!
当然、自宅から近い中学校に行く予定でした。
実は、その当時、ラジコン、ミニ四駆が流行っていた時代で、むちゃくちゃ欲しいラジコンがありました。
でも、裕福な家ではなかったので、おもちゃは買ってもらえない状況でした。
そこで両親に、中学受験をして合格したらラジコンを買ってくれないかという交渉に持ち込んだんです。
両親2人は、遊んでばかりいたので、まさか合格するなんて思ってなかったと思います。
- 安部 貴士
- 自宅からは学校までは、どのくらいの距離だったんですか?
- 野口 卓司
- 片道8キロ、約35分の自転車通学だったので、よくタイヤがパンクしましたよ。
- 安部 貴士
- 当時の中学校生活は、どうでしたか?
- 野口 卓司
- ほとんど、勉強をしませんでした・・・というより勉強についていくのが精一杯でした。
最初の中間テストでは、恥ずかしい点数でした。
ただただ、していたのは、本を読むことと、委員会活動。
このころから、自然と、「誰かの役に立つこと」のイメージがもてるようになってきます。
- 野口 卓司
- 安部 貴士
- 以上が、幼少期~中学時代までをみてきました。
ありがとうございました。
- 安部 貴士
- では、高校時代をみていきましょう。
- 野口 卓司
- 高校時代も、変わらずの7時間授業、放課後の課外授業、夏休み課外授業でくたくたでした。
しかし、幼少期から学校大好きは変わってなかったんですが、ある1日だけ学校近くで、自転車のタイヤがパンクしてしまい、遅刻しました。
自転車屋さんの店の電話を借りて、学校に連絡したおかげで遅刻にはならなかったみたいです。
- 安部 貴士
- 遅刻にならなかったのは良かったですね~。
高校の時にはさすがに勉強しましたよね?
- 野口 卓司
- 実は、とっても、不純?な動機で、勉強することに・・・なったんです!(笑)。
高校時代、知り合いの紹介である人と出会い、のちに人生のターニング・ポイントとなりました。
その当時、香川医科大学、今の香川大学医学部のラグビー部の学生さんと知り合いになりました。
その人から勉強の仕方、柔道しか知らなかった僕にラグビーの面白さを教えてもらうことに。
ただただ、その人のようになりたくて、その一心で勉強したんです!
このころから、自然と、「誰かの役に立つこと」の充実感を持つようになってきます。
そして、また、気が付いたら、無遅刻無欠席。
小学校、中学校、高校を通じて、12年間(遅刻を含めたら完全ではないけど)、大好きな学校を通い切りました。(笑)
- 安部 貴士
- 「誰かの役に立つこと」が、イメージから充実感を持つように変化したんですね。その変化を与えてくれたのが、その当時の医学部の学生だったのでしょうね。いい出会いに感謝ですね。
ありがとうございました。
- 安部 貴士
- それでは、大学時代をみていきましょう。
- 安部 貴士
- 大学生になってからは勉強、そしてクラブ活動などで汗を流した思い出の方が多いのではないかと思いますが、どうでしたか?
- 野口 卓司
- 大学時代は、毎日の講義と、ほぼクラブ漬けの日々でした。
そして、高松の高校では珍しいラグビー部に所属しました!
- 野口 卓司
- 安部 貴士
- ラグビーといえば、激しいスポーツというイメージがありますが、怪我とかはしなかったですか?
- 野口 卓司
- 骨折は何カ所かしましたね~。
今でも覚えているのが、部員の人数が足りなかったので骨折したまま試合に出ていたことです(笑)
- 野口 卓司
- 安部 貴士
- 私の友人もアメフト部に入っていたことがあるのですが、合宿がきついというのを聞きましたが、どうでしたか?
- 野口 卓司
- 夏の合宿は、とても厳しかったのを思い出しますね~(汗)
合宿は、山中湖周辺の民宿に1週間ほど滞在し、早朝からの練習と夕方からの練習の2部練でした(泣)。合宿中は、他校の大学生と合同で練習試合も行ったりもしていました。
- 野口 卓司
- 野口 卓司
- 合宿終了の日は、とても楽しかったのを覚えています。
- 安部 貴士
- どのスポーツの練習もきついと思うのですが、特にラグビー部といえば・・・
我々世代の青春ドラマとして有名だった、スクールウォーズの感じでしょうか。
「練習中は、水を飲むな」「合宿中は朝からハードな走り込み」「ご飯は3食どんぶり飯」「声が嗄れるほどの挨拶や声出し」・・・・・など現代に比べると非科学的な事など日常茶飯事の時代だったと思います。
- 野口 卓司
- そうですね。
今から二十数年前は、今ほどスポーツ科学も進んでいなかったので、練習と言えばとにかく根性論だったと思います。
「根性」や「忍耐」や「努力」など現代ではダサくて古いのかもしれませんが、今私があるのは、この大学時代の経験が大きく影響しているのは事実です!
この経験があるからこそ、これまでの様々な辛い事も乗り越えて来られたし、頑張る原動力になっていると思えます。
- 安部 貴士
- 充実した大学生活でしたね!スポーツから多くのことが学べ、今の経験に生かされているのは素晴らしいですね。
歯学部って医学部と同じように6年間、学ばないといけないと聞いたのですが、病院実習とかも医学部のようにあるんでしょうか?
- 野口 卓司
- あります。私の時代は、歯学部の5年生後期から病院実習に入ります。実際に患者さんの治療計画を立てたり診療を行ったりします。
- 野口 卓司
- 安部 貴士
- 実際に患者さんを診るのは、緊張したことでしょう。
やっと歯医者さんに一歩近づいた感じですね。
さて、大学卒業後に、大学院に進学されているみたいですが。
- 安部 貴士
- 大学院時代
- 野口 卓司
- 多くの歯科医師が、大学に残ることなく、開業医で、勤務医としての人生を開始します。
でも、私は、歯周病学を極めたいという一心から、研究を通して基礎から臨床まで知りたいという探究心で、大学院へと進学しました。
その当時、神奈川歯科大学の歯周病学講座は教授が、不在であったため大学院生をすぐに受け入れることができませんでした。それで、ラグビー部の顧問の先生(神奈川歯科大学、石井教授)に相談しに行きました。
すると、「推薦状を書くから、すぐに広大へ行け!」という言葉が返ってきました(゚д゚)! いや~ビックリしましたね。今でもあの時の言葉を覚えています。
- 安部 貴士
- そのような経緯があったんですね。だから広島大学歯学部に進んだんですね。
- 野口 卓司
- 実は、広島には昔から縁があったように思えるんです。
と、いうのが・・・・・・、小学校時代には、決まって夏休みの最後に、家族で近場を家族旅行することがありました。父親が「今年は○○へ行くぞ!」というように、父が行きたいところに行くという雰囲気で、ただついて行くだけの家族旅行だったのですが、「今年は広島へ行くぞ!」というのが6年生の夏休みだったのを記憶しています。
「広島」という言葉に、どこかの“島”に宿泊するんだと勘違いし、初めて旅行で日本地図を調べつくしたのを覚えています。結局、“島”じゃないんだけどね(笑)。
でも、いざ、広島の平和記念公園が近づいた辺りにある、川に浮かぶ船を通り過ぎる瞬間、ここに将来住むかも・・・な~んて脳裏によぎったんですよー。
可笑しい話でしょ?
- 安部 貴士
- 運命を感じた瞬間ですよー!どこか遠いところでつながっていたんじゃないですかね。
産まれ育った地域から離れて生活してみるのは、人生の価値や意義には重要なはずです、野口先生のように神奈川、広島と住んでみて多くを学んだことと思います。
大学院時代は、どういった学生でしたか?
- 野口 卓司
- 大学院時代は、奨学金をもらいながら通いました。
朝9時から夕方5時まで、大学病院での診療があり、その後、研究をするというスタイルで、帰宅するのはいつも深夜2時でした (;^_^A
細胞培養系の実験だったので、2日に1回はメディウム・チェンジといって培養液の交換をしなければいけないので、もし培養を月曜日始めたら・・・月曜、水曜、金曜、日曜となり、もし培養を火曜に始めたら・・・火曜、木曜、土曜となりますよねーー?つまり休みがなかったんです(泣)( ノД`)シクシク…
けれど、限られた休みの中で野球観戦に行ったりと、有意義な時間の使い方をして過ごしていました。
- 野口 卓司
- 安部 貴士
- 大学院は、めちゃめちゃ、ハードですね・・・
ラグビー部で培った忍耐がここで発揮できていますね(笑)
この写真は、大学院時代の写真でしょうか?
- 安部 貴士
- 野口 卓司
- そうですね、大学院卒業したその日に仲間どうしで打ち上げ会に行った時の写真です。
今でも、彼らとは勉強会をして互いに切磋琢磨しています。
- 安部 貴士
- ところで、大学院生は、歯科のアルバイトもすると聞いたことがあるんですが?
- 野口 卓司
- そうですね、私の場合、出校先のアルバイトは、呉市の開業医さんのところにお世話になりました。
- 野口 卓司
- 野口 卓司
- 大学を卒業したばかりのその当時、何もできなかった僕に歯科の、いろはを指導してくださいました。今でも交流があります。
- 安部 貴士
- 大学院での研究テーマは、どのようなことをしていたのですか?
- 野口 卓司
- 分かり易くいうと・・・・・培養系の研究で、歯肉の上皮細胞を培養し、歯周病菌との反応を研究していました。そこで、将来的な歯周病予防につながる、薬の開発への足掛かりとなる研究をしていました。
- 安部 貴士
- 博士号を取った論文もあるんですか?
- 野口 卓司
- 論文も書きましたよ~、広島大学歯学部 教授、柴先生のお力添えがなければ、論文が完成しませんでした。
日本語の論文もありますが、海外のInflammationという論文に投稿しました。
http://link.springer.com/article/10.1023/B%3AIFLA.0000006702.27906.e9?no-access=true
- 安部 貴士
- 大学院時代は、診療もしながら、研究しないといけないとは・・・。かなりハードなことがわかります。
野口先生の専門である歯周病の話は、次回の対談の時に詳しく教えてもらいます。その時は、よろしくお願いいたします。大学院卒業後の進路はどうでしょう?
- 野口 卓司
- こちらこそよろしくお願いします。
2日目
- 安部 貴士
- 勤務医時代
- 野口 卓司
- 大学院卒業後は、広島駅近くの病院で約5年間、勤務しました。
- 野口 卓司
- 安部 貴士
- 写真をみると、スタッフの人数が多いですね~。
- 野口 卓司
- 診察台が9台あり、オペ室に2台あり、勤務医は私を含め5人ほど在籍していました。
今、こうして自信を持って治療ができるのは、勤務先での多くの治療や、治療方針の立案の仕方、技術的な治療方法を教えてもらったおかげだと感じています。
勤務先の院長先生、スタッフのみなさんには感謝しています。
- 野口 卓司
- 野口 卓司
- この写真は、私が勤務医1年目の入った年にあった院内旅行の忘年会の写真です。
- 安部 貴士
- この女装しているのが野口先生ですか?(笑)
- 野口 卓司
- そうなんです。お恥ずかしい・・・(〃ノωノ)
新人は、毎年なにか芸をやらなければならなくて(;^_^A
- 安部 貴士
- 楽しそうですね~(笑)
最高の病院にめぐりあえて、本当によかったですね!
以上、勤務医時代までをみてきました。
ありがとうございました。
では、ついに開業に至る経緯を聞かせてください。
- 安部 貴士
- そして開業へ・・・
- 野口 卓司
- 実は、勤務医をもう少し続けようか迷っていた時に、父が他界し、急遽、実家に帰ることになりました。
私が一人っ子だったため、母を残してまで他県にいることができなかったんです。
それで、産まれ育った故郷である香川県に帰り、数多く学んだ技術を地域の皆様に、安心・安全である医療を基本方針にして、クオリティの高い治療を提供していきたいと思いました。
- 野口 卓司
- 野口 卓司
- こうして今の私があるのは、広島で過ごした日々が礎となり、諸先生方のお力だと実感しています。
- 安部 貴士
- 私も野口先生が、こんなにも、熱い男だとは知りませんでした。
- 野口 卓司
- いやいやー、体系も最近、あついですけどね・・・・・・(笑)。
- 安部 貴士
- (笑)。
診療以外にも多方面で、現在ご活躍だと聞いていますが、どのようなことをしていますか?
- 野口 卓司
- そうですね。
平成22年より、香川県歯科医療専門学校にて、歯周療法学の専任講師に拝命され、歯周療法学の講義を担当しています。
- 野口 卓司
- 野口 卓司
- 他にも、公民館で講演を行ったり、介護施設にて、施設職員や施設利用者にむけて、『歯周病と全身疾患の関わり』などの話をしています。
- 野口 卓司
- 安部 貴士
- 今後も先生のご活躍に期待しています。
本日は、お話いただきありがとうございました。
最後に、先生からお伝えしたことはございますか?
- 野口 卓司
- こちらこそ、ありがとうございました。
「はる歯科診療室」では、地域の皆様の歯の健康を守るため、虫歯の治療はもちろん、歯に関するいろいろな悩みに耳を傾け、お口全体をトータルにケアする診療を心がけ、患者様が喜んで、楽しく、行きたくなるような医院づくりを目指し、スタッフ一同誠心誠意励んでおります。
また、自分が受けたい、自分の身近な人にしてあげたい治療をコンセプトとして「本当に歯を大切にしていきたい」と考えてくださる方に、喜ばれる医院づくりを目指しておりますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。